しゅるしゅると布と布の擦れる音が、静かな空間に唯一の音を生んでいる。
窓の外、雨が降り止む様子は無い。
「これでよし、と」
包帯を巻き終わったラピスが、ポンと包帯の上を軽く叩いた。
殆ど力を加えてはいなかったから、相手も顔を歪ませるようなことはしなかった。
「右腕はそこまで酷くないけど、羽は治るまで暫くかかりそうね」
「え・・・・と・・・・」
「何?」
「・・・・・・ありがとう?」
あちらこちらへと数度視線をさ迷わせた後、ツキハが礼を口にした。
しかし。
「だから、何で疑問形なんだよ」
むっとした顔をして思わず突っ込んだトキに、ラピスは盛大に噴出した。





「・・・・何で僕たちを助けたの」
鍋の中を掻き混ぜていたラピスは、唐突に投げかけられた声に、手を止めて後ろを
振り返った。
「・・・・怪我してる人がいたら、普通助けるものじゃない?」
正論だ。だが、テーブルの天板に腰掛けていたトキは、ラピスのその言葉を聞いた
後も険しい顔を崩さずにいた。
この場に、ツキハの姿は無い。手当ての後、戦闘と怪我による体力の消耗から眠そ
うにしていたため、今はラピスのベッドを借りて寝ている。
だからこの問いはトキの独断だ。
「まず第一に、僕たちが何者(だれ)か分かってる?」
トキにとって、第一に考えるのは主であるツキハの事だ。彼にとってマイナスとな
るならば、例え命の恩人と言えど情けを掛けることはしない。
「人間じゃないってことは分かるけど。羽の生えた人間なんていないもの」
再び鍋へと向き直ったラピスの返答に、トキは素早く思考を巡らせる。
彼女がストークやクロウといった存在を知っているかどうかによって、対応は大き
く変わってくる。
今の返答を聞く限りでは、どうやら知らないようだが・・・それが本当かどうかは、
現時点では判断が出来ない。
「―――・・・君さ、」
「ラピス」
「へ?」
火を消すと、彼女はずぃと顔を近づけてくる。互いの顔の間にピンと立てられた一
本の指。
「ラ・ピ・ス。私の名前は君じゃないんだから」
「あ、うん。ごめんなさい・・・」
勢いに押されて素直に謝ったトキに、ラピスは「よし」と満足そうに笑って腰に手
を当てると、鍋をコンロから下ろした。
鍋の中には、美味しそうなクリームシチューが湯気を立てている。
病人――正しくは怪我人だが――には、食べやすいメニューだろう。野菜も沢山取
れるし、ジャガイモや乳製品はエネルギーになる。何より温かい。
「・・・ラピスはさ」
「ん?」
「僕たちを見て、何とも思わなかったわけ?」
鍋がテーブルに置かれるのを見て流石に天板から腰を上げたトキが、レンジの上に
居場所を移して問いかける。
「ん―――・・・見慣れてるしなぁ・・・」
「見慣れてる?」
皿やその他の食器を準備しつつ、暫し考えてから問い掛けに答えると、トキは半眼
を益々細めて聞き返した。
「生まれつきなのかな。霊とかそういう類のものはよく見るけど」
翼の生えた人も、あった事は無かったが飛んでいるのを見かけた事はある。
そう言うラピスに、トキは正直面食らった。
ストークやクロウが移動するのは主に雲の上だから、まず常人の目に付く事は無い。
雲の下を通る時は、見えないように周囲に薄い膜を纏うことで姿を隠すから、やは
り普通は見えない筈なのだが。
「・・・君、何者?」
「霊が見える、明るく優しい17歳の美少女」
「・・・・・」
自分で『優しい』とか『美少女』とか言う人間が真実まともであるわけがない、と
トキは内心で毒づいた。
―――口にしなかったのは、賢明だっただろう。







ゆらゆらと、意識が浅瀬を揺蕩う。
薄明るい世界の中で、思考はきちんとした形を取らずにとろとろと溶けるのに、湧
いてくるようにあれやこれやと様々な事柄が走馬灯のように通り過ぎてゆく。
「ツキハ」
耳元で、殊の外はっきりと聞こえた声に、ツキハはゆるゆると目蓋を持ち上げた。
「ト・・・キ」
揺れる視界の向こう、暗がりの中に鮮やかに浮かび上がる赤い片翼から、相手を特
定する。
「気分は」
「・・・大分、ラク・・?」
「だから、何で疑問形なんだ、って」
本日三度目となる突っ込みを口にして、トキは小さく溜息を吐いた。
吐き出す息と共に寄越された答えは、ラクとは言いつつも実際のところ自分でもよ
く分かってはいないのだろう。
頭は上手く回っていないようだし、それは熱い呼気と熱っぽく潤んだ瞳からも見て
取れる。
恐らく怪我からの発熱で意識が朦朧として、痛覚が鈍くなっているだけだ。
全く、これでは本当に立派な病人である。
「食欲ある?ラピスが作ってくれたけど・・・」
「・・・・・食べる」
どうやら、食欲だけはしっかりとあるらしい。
まぁ、それもいつもの事なのだが。無いよりはあるほうがましだ。
「じゃ、先行ってるから」
ふぃ…と飛んでいったトキを見送って、ゆっくりと起き上がる。
不意に訪れた眩暈を視界を閉ざす事でやり過ごすと、ブランケットを撥ね退けて、
薄暗いベッドルームを出た。




急な明度の違いに目を細め、手で庇を作る。
「あ、起きたんだ」
少し慣れてきた眼を声の方へと向けた。
「あぁ・・・。すまない、ベッドまで借りて」
「いいわよそれくらい」
気にしないでいいと言うラピスにもう一度すまないと言って、多少ふらつきながら、
ツキハは近くの椅子に腰掛けた。同時に、深く息を吐く。
たったこれだけの動作でも、体が重くて仕方が無い。
「はい」
「―――・・・何だ?」
差し出された、見覚えの無いソレを反射的に受け取って、ツキハは首を傾げた。
「解熱剤と痛み止め。そんなボーっとした状態でいつまでも居られちゃ困るもの。
食べたらそれ飲んでさっさと寝る事!」
「・・・・・」
「わかった?」
「はい」
咄嗟に何を言われたのか分からず、ぼけっとラピスの顔を見返していたツキハは、
顔を近づけて念を押され、思わず頷いた。
返事をすると満足したのか、ラピスは向かいの席に座る。
「・・・・・いただきます」
「いただきます」
「はいどうぞ」
にこにこと笑いながらこちらを見ているラピスに、そう言えばトキ以外の誰かと食
事をするのは久しぶりだな、とツキハは思った。











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